セナ薫です。
「生きてるだけ癒されていく。世界が救われていく。」
そんな言葉が降りて来ました。
私たちは日々を生きるだけで何かに「傷つき」そしてそれを「癒し」生きています。
これはまるで「呼吸の吸って吐く」のように人生に組み込まれた「生のリズム」なのかもしれませんね。
私たちは「癒し」という言葉から「弱さや繊細さ」を連想するかもしれませんが、
実際にはどんな事に直面しても自分を癒して、立ち直り、また進んでいくことは「強さ」と言えると思うのです。
癒しとは弱さじゃない|自己受容から生まれる“しなやかな強さ”
「癒し」とは決して甘えや逃避などではなく、
どんなことがあっても「不死鳥フェニックス🐦🔥」
のように再生復活する「強さの証」なのです❤️
そして私たちは自分自身を癒すとき、
「見たくない自分の感情」
「認めたくない自分自身」
それらと向き合うことになります。
それは自分の中の「影」「闇」「シャドウ」であり、
癒しのプロセスにおいては避けては通れません。
だけど自己否定したくなるような自分さえも
「丸ごと受け入れる」ことが「真の癒し」となるのですね✨
なぜ癒しには勇気が必要なのか|不安や悲しみと向き合う力
不安、怒り、悲しみ、恐れ、孤独、無価値感……
それらに触れることは、一見すると「弱さ」のように見えて、実はものすごく勇気のいることです。
なぜなら私たちは、傷を無視して突き進むことの方がずっと簡単なのだから。
(見て見ぬふりをした方が楽です。)
──それでもあえて立ち止まり、
「今の自分をまるごと見て、抱きしめてあげよう」
「自分の本音と向き合おう」
その姿勢は、本当の意味で自分を大切にするアクションだと思うのです✨
・・・
臭いものに蓋をして見ようとしないのは、
「本当の私」を無視することになってしまいますからね。
それでは本当の意味で自分を大切にしているとは言えません❤️
生きることそのものが癒し|痛みを超えて再生する魂のプロセス
「癒しと共に私たちは生きていく。」
私は「癒し」とは、何か特別なものではなく、
呼吸のように私たちに自然に備わっている機能かもしれないと感じることがあります。
「癒しの方法」は数あれど、
実は私たちがただ生きているだけで癒しは起こるし、
生き続けることそのものが「癒し」なのだと感じるのです。
(私たちのご先祖👴👵もそうやってこれまで生きてきたのではないでしょうか。)
・・・
たとえ「分からないことばかりでも」「痛みの中にあっても」それでも生きること
──それ自体が勇者の証であり、それ自体が誰かの救いになっているのです✨
それは派手でもなければ、“映える”訳でもありませんが、
今日また少しだけ立ちあがろうとするその姿が、
本当の意味で「強い人」であり、
──そんな普通の人たちがこの世界を支えてくれているのかもしれないと私は思います。
勿論あなたもその中の一人です♪
✨✨✨
さいごまで読んでくれてありがとう!
セナ薫
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