「最近、風邪って聞かなくなった代わりに
コロナとかオミクロンて呼ばれるようになったよね(笑)」
世界中でコロナ規制解除の流れ
スウェーデン、コロナ規制を来週解除へ(ロイター2/3)
<コロナ世界の現場から>「日常」戻る@デンマーク(2/3)
オーストリア、コロナ規制一段と緩和へ ワクチン未接種者も対象(1/31)
ノルウェーも規制解除で新型コロナ共生路線へ(2/3)
英、月内にもコロナ規制全廃 ジョンソン首相表明、陽性でも隔離せず(2/10)
さてさて世界の流れが変わって参りました。
瀬名です。
先日、我々のあるZOOM会で、
「コロナ(オミクロン)で2週間自宅療養していました〜」
というメンバーさんがいたんですが、
それを聞いて思ったのが、
それってひと昔前なら、
「風邪ですね。」
の一言で済んでた話なんだろうな〜ということです。
コロもオミも結局その根拠となっているのがPCR検査ですが、
この検査の正確性は疑問視されており、
それは「権威筋」も認めていることです。
イーロンマスクも、自身のツイッターで
「PCR4回受けたけど、陽性と陰性どっちも出たwww」
なんてツイートをしていました。
Something extremely bogus is going on. Was tested for covid four times today. Two tests came back negative, two came back positive. Same machine, same test, same nurse. Rapid antigen test from BD.
— Elon Musk (@elonmusk) November 13, 2020
つまり偽陽性が出るなんて当たり前で、
それこそ「ガチャ」みたいに毎回毎回、
陽性か陰性か50%の確率で出る訳です。
そして陽性と感染の違いもマスコミが
あえて間違えて使っていますが、
そもそも、
陽性=感染ではないですからね。
陽性者=感染者でもないです。
陽性者とは、
検査で特定のウィルスが発見されただけであって、
健康者の体中でもウィルスは存在しているのであって、
逆にウィルスが存在していない人はいないのですから
陽性者というだけで隔離するのはナンセンスです。
そして、
感染者とは、
ウィルスが異常増殖して
症状を発症している状態の人を指します。
なので、陽性者と感染者数をあえて間違えて
報道しているマスコミがいる訳ですが、
東京都はいちおう「陽性者」と言うが、
マスコミはそれを「感染者」とわざと言い換えて発表するのは何故かと言ったら、
感染者と言った方が人々の恐怖心に訴えるからですよね。単純に。
コロもオミも結局はマスコミの作り出す、
「雰囲気病」
パンデミックならぬ、
雰囲気デミック!?
になっているのではないか?
ということです。
なので話を戻すと、
「あなたはコロですね。オミですね。」
と診断されたとしても、
それは断定できないはずなんですね。
だって、PCR検査はコロとかオミを特定できるものではないですから。
元々あった大手PCR検査キットの販売ページにも
「これは他のインフルにも反応するので
これだけでコロと断定できるものではありません。」
みたいな文言がハッキリと明記されておりました。
今はそのページも削除されていますが。
だから、最近「風邪」と診断される代わりに、
コロだのオミだのという新しい名前を付けられるようになったんですが、
一昔前なら、風邪かインフルで片づけられていたものでも
コロとかオミという名前を付けられると
それがあたかも大変な病気のように感じてしまうのは・・
世界中のマスコミの流す情報、
「こりゃあ大変だあ〜!」
と、騒ぐ雰囲気が原因であります。
もしくは、【そういった映像】を見せられて、
・医療逼迫の現場とか、
・防護服きた職員とか、
それがあたかも世界の真実のように思い込まされている訳です。
(そういった映像が事実に基づくものである“はず”だ。マスコミは事実を伝えている“はず”だ。
・・というある種の『信仰心によって成立している』ということに気づかないといけない。
マスコミが伝える通りとは言い切れない。絶対そうだとは言い切れない・・ということを理解することです。)
マスコミは営利団体に過ぎない・・
マスコミは世界の事実を教えてくれる
善意の団体だと思ってる限りは、
マスコミに騙され続けるのだと思いますが、
そもそもマスコミの大元である通信社を作ったのは
ロスチャイルド財閥などであって、
彼らが最初に通信社を使ってやりたかったのは、
誤情報を流して大衆を操り、
投資関係で自分達が莫大な利益を得るためでした。
たとえば、戦争でA国とB国が戦っていて、
A国が優勢だという報道を流させる。
でもこれは嘘で本当はB国が優勢であり勝ちが決まっている。
すると大衆は敗戦するA国に投資しはじめるのですが、
B国が勝つと分かっているロスチャイルド財閥とそれにつらなる者たちは
利益をむさぼることが可能になる。
・・などです。
(要するにマスコミも営利団体であるから、
上のスポンサーの利益のためなら真実もねじまげて
報道するのが当然だよね。と言う話です。
コロナ報道だって、それを流すことで、とある特定の団体や組織が
なんらかの利益を得るという構造になっている。)
「それは昔の話であって、今はそんなことないでしょ。」
「専門家とか、教授とか嘘をつくはずない!」
そう思うのはあまりにも「お花畑脳」なんじゃないかと思うのです。
・・もちろん信じたいものを信じたら良いとは思いますが、
信じる対象は慎重に選ぶ
必要があるのは言うまでもありません。
信じると言えばですが、、
何を信じるか?その根底には自分が在る。
・・結局のところ、何を信じるにしても、
それが、
・マスコミだろうが
・権威だろうが
・有名人だろうが
・神様だろうが
それを信じると決めるのは自分ですよね。
ということは、自分が決めた「信仰先」を信じるのであれば、
それってつまり自分の「選択基準」を絶対正しいと信じていることであり、
それはつまり結局のところ、
自分(の選択)は正しいのだ。
と言ってるのと同じなのです。
何を信じるにしても。
なので、平たく言えば、
結局、人は自分が信じたいものを信じる。
ですが、
信じたいものを信じた結果、
・発酵していく魅力的な人と
・腐っていく人がいる
それは何故か?
については自分が思うことを最後にシェアします。
吉凶とはポジティブシンキングより上の次元で理解すること
発酵していく人とは、常に可能性に対してオープンである人です。
可能性が開いている人は、世の中の正しさに疑問を持てる人です。
・マスコミを疑う
・権威を疑う
・情報を疑う
・人を疑う
のは当然なんですが、
それに加えて、
自分自身をも疑う
ことが必要だと思うのです。
疑うというとネガティブに聞こえそうですが、
これは要するに、
「もっと知ろうとする。」
ことなのでネガティブなワードではありません。
そして「自分を疑う」ってのは何故かと言うと、先ほど言ったように、
そもそも自分は正しいと思い込んで生きてる訳ですよね。日々を。
もちろん、「自分は正しいと思わなければ生きられないでしょ」という側面もありますが、
それと同時に「自分は正しいと思い込んでいるかぎり、今いる現実から抜けられない」ということでもあります。
つまり、「正しさは人を現状に縛り付ける鎖でもある」のです。
逆に言うと、凶事などが起きて「人は困ったときに自分を疑い、現実がゆらぎはじめる」のです。
だから、吉凶で言ったら、凶もとらえようによっては
現実がゆらぎ自分がなにかに気づき成長するチャンスなのですね!
多くの人は悪いことが起きたら、「最悪!」と言って悪い側面だけを見てしまいますが
我々は、
「悪いことにも様々な側面があるのだ。」
「凶事は自分が何かに気づき成長するチャンスだ。」
ということを理解しておけば、
何がおきても割と冷静に「フラットな状態」で生きられるのです。
これは単なるポジティブシンキングとかではなくて、
ポジティブシンカーはネガティブを否定して
ポジティブだけを信仰するみたいな感じですが、
・・それはまた違うよねということです(笑)
ポジティブ(陽)もネガティブ(陰)も『受け入れる』ってことです。
二元論の善悪とかじゃなく、どっちも必要な要素(材料)だと。
何かを絶対視するということは、その他すべてを排除するということになります。
つまりは、
ポジティブシンカーはポジティブに考えることに固執するので、
今の現状から抜け出すことができなくなるのです。。
そしてネガティブぽい人を見下すようになるので
タチが悪いのです(笑)
要するに、何かに強く固執すると「対立を生む」ということですね。
ワクチンだって西欧諸国が「強制」したからこそ、
大きな反発があり対立が生み出されました。
(ワクチン強制することで対立が生まれることは分かりきっていたはずなので、
それこそ『上の人たちは分かった上でやった可能性』が十分にある訳です。)
つまりは、
対立を生み出す思想はやがては破綻する。
ということがここから読み取れるかなと思いますね。
結論「分からない。ということを分かれ。」
・コロナを信じる信じない
・ワクチンを信じる信じない
・情報を信じる信じない
何にしても、
人は絶対的な答えを求めますが、
「何かを絶対視するのは
分かっていない証拠」
だと言えるかなと思いますね。
仮に自分が「ワクチンは害悪でしかないから」と言って、
それを他人にも強要するようになったら、
それは対立を生み出すことになるので・・
・・それは違うかなと思うのです。
だから、
「私は悟っているので全ての真実、答えがわかるのです」
なんて人が(極端かもしれませんが)いたとしたら、
逆に、
「あ〜この人はわかってない人だな」
と思えばよいのです(笑)
・自分は間違っているかもしれない
・自分は偏ってるかもしれない
・自分にとっての良いは、相手にとっての悪いかもしれない
とどこか心の内にない人は伸び代がないのです。
それこそ
・頑固で
・ずっと一貫してる
みたいな人ってこれまでは賞賛されてきたけど
(本当にそうなのかな?)
と疑うべきと思います。
「頑固さも一貫性も、
それを使うべきタイミングがあれば、
それを手放すべきタイミングも有る」
ということをわかる人は素晴らしいと思います。
つまりは、
・「頑固さ」と「柔軟さ」を併せ持ち
・「一貫性」と「直感」を併せ持つ
そういう人は伸びるということです。
さらには、
・自分を信じる
・自分を疑う
そのどちらも同時に共存させられる人こそが
奥深い人生を歩んでいける人かと思います。
それではまた!
瀬名
コメント
瀬名様いつも記事を楽しく拝見させて頂いております!
この記事はとてもタイムリーだったのでコメント沢山書かせていただきます。
自分は無事に国家試験をパスしこれから2年間研修する身であるのですがこの業界の研修は病院により給料も働き方も場所も様々で毎年のように
ハイポ病院(暇)vsハイパー病院(忙しい)どちらが正解かという議論が毎年のようになされております。
俯瞰してどちらも正解であり正解でないとみると全て正しくも見えますがやはりこうじゃないとダメだという考え方のもと職場探しをするとここが嫌だここも嫌だというのが始まりどこも出せなくなってしまいますね。
とくにこの手の受験潜り抜けてきた人たちは視野が狭い傾向が強いので肩書きだの将来性だの体裁だのどうでもいい事に強く囚われているように見えてなりません。
(別に研修先が辛かったら自殺なんかしないで中断して好きなことすれば良いのにとか)
佐藤さんは何でも有り難く受け取る事が大事だとおっしゃっておりましたがそう考えると全て正解に見えてくるから不思議です。
それと、ここの職場はやめとけだのここにしろだの押し付けがましい友人に凄い振り回されてキレそうにもなりましたがよくよく話を聞くと助けてくれないときに困るからいざというときに助けてくれる仲間が職場には大事だと言っておりだったら人の気持ち察するところからはじめろよと思ってしまいました。
(人の気持ちを察せない人も場合によっては強みだから好き勝手振る舞えりとかもあるのかも)
それと、煩悩即菩提であるという言葉の通り何か悩みや問題が目の前にあれば答えは出ているのだからとりあえず全て疑ってみることかなと思いました。(キレることそのものがそもそも悪いことなのか。とか)
ですが、やはり視野狭窄に陥ると解決スピードもラグが生じて落ちるので抽象度の高い人からの意見も大切ですよね。。また機会あればセミナーとかにも参加したいなと考えております