「逝きし世の面影」日本人の性と裸の価値観は現代とまったく違うものだった!?

愛/性

 

瀬名です!

 

今からおよそ150年前の日本は明治時代でしたが、

その頃の日本の価値観や常識は、

我々現代日本人のものとは相当違ったようです。

 

「逝きし世の面影」という本では、当時の日本を訪れた「外国人の日本に関する記述」を
集めて紹介してくれる非常に興味深い書籍です。

 

中でも特に我々日本人にとっても衝撃的なのが、

「性と裸」に関する価値観と常識は、現代と全く違った。

…という点です。

 

たとえば、ある外国人はこのように記します。

暑い季節には「女性は上半身裸になる。身体にすっかり丸味のついたばかりの若い女でさえ、上半身裸でよく座っている。無作法ともなんとも思っていないようだ。たしかに娘から見ると何の罪もないことだ。日本の娘は『堕落する前のイブ*』なのか。」

 

(『堕落する前のイブ』←聖書の創世記ではアダムとイブが「善悪の知識の木」から実を食べると、お互いが裸であることを認識し、恥ずかしくなってその身を覆い隠したとあります。)

 

「若い女でさえ、上半身裸で(公共の場に)座っている。」

 

まさに今の日本では考えられない光景ではありませんか!?

 

今でこそ、西洋的な価値観に染まり切っている日本人ですが、
たった150年前の明治時代ごろまでは、まったく違ったのです。

 

性と裸に対して「はずかしい」という概念がそもそも無かった。
ということです。

 

よく歴史の教科書などには、
「明治維新から富国強兵や文明開化で急激に近代国家へとなる。」
とありますが、

近代化とは西洋化であり、キリスト教的価値観への強制的な移行でもあります。

 

しかし、明治以前の日本を「野蛮、原始的、文明が遅れている」などの一言では
決して片付けられない、「失われた古き良き日本文明」がそこに確かにあったのです。

 

開国し西洋化されようとする日本に対して、ある外国人はこのように記した。

「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本より、よりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように『素朴で絵のように美しい国』になることはけっしてあるまい。」(ウェストン)

 

「素朴で絵のように美しい国。」

明治の日本がこんな風に思われていたなんて驚きですね。

 

「日本は、地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」
(英国の詩人エドウィン・アーノルド)

 

それでは今から150年前の明治時代は、どんな時代だったのか、ここからご紹介していきます。

 

 

日本のように男女が、これほど卑猥な方法で一緒に生活する国は、世界中どこにもない…

 1854年(安政元)ペリー艦隊に通訳として同行したウィリアムズはこのように記している。

「私が見聞きした異教徒諸国の中では、この国が一番みだらかと思われた。

婦人たちは胸を隠そうとしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。

男は、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩く。

裸体の姿は男女ともに街頭に見られ、世間体などお構いなしに、等しく混浴の銭湯へ通っている。

みだらな身振りとか、春画とか、猥談などは、日常茶飯事であり、、。」

 

 同じくペリー艦隊に同行した、ドイツ人画家ハイネはこう記す。

「浴場それ自体が共同利用で、そこでは老若男女、子供を問わず混じり合って、ごそごそと、うごめき合っている。また外人が入って来ても、この裸ん坊は一向に驚かないし、せいぜい冗談混じりに大声をあげるくらいだった。」

 

 ドイツ人の商人リュードルフは、1855年 下田にてこう記す。

「日本のように男女が、これほど卑猥な方法で一緒に生活する国は、世界中どこにもない」

 

 驚愕する外国人に対し、ある幕府のお役人は、外国人に対してこのように説明したという。
「この露出こそ、神秘と困難によって募る欲情の力を弱めるものだ。」と。

 ↑なるほど、一理ある(笑)

 

「ハリスは1856年に下田に着任し、「混浴が女性の貞操を危うくするものと考えられていない」ことだけは確からしいと判断した。

そして彼が、ある温泉を訪れると、湯には子連れの女が入っていたが、「彼女は少しの不安げもなく、微笑みを浮かべながら私に、いつも日本人がいう『オハヨー』を言った。」と記す。

 

「この上なく繊細で厳格な日本人でも、人の通る玄関先で娘さんが行水しているのを見ても、不快には思わない。風呂に入るために銭湯に集まるどんな年齢の男女も、恥ずかしい行為をしているとはいまだ思ったことがないのである。」(リンダウ)

 

「私見では、慎みを欠いているという非難はむしろ、それは裸体の光景をさける代わりにしげしげと見に通って行き、野卑な視線で眺めては、これはみだらだ、叱責すべきだと恥知らずにも非難している外国人の方に向けられるべきであると思う。」(スエンソン)

 

 以下は、とある漁村の夜景。

「あちこち、自分の家の前に、熱い湯につかった後ですがすがしくさっぱりした父親が、小さい子供をあやしながら立っていて、幸せと満足を絵にしたようである。多くの男や女や子供たちが木の桶で風呂を浴びている。桶は家の後ろや前、そして村の通りにさえあり、大きな桶の中に、時には一家族が、幸せそうに入っている。」(明治14年、クロウ)

 

 

1859年、開港直前の長崎を訪ねたホームズ船長は町を散策中、娘が全裸の状態で家から飛び出して、「家の前の約12フィートのところにある長方形の桶」に飛び込むのを目撃した。

彼女は危うく船長と衝突するところだったが、顔も赤らめず、びっくりしている彼を桶の中から「くすくす笑っていた」

 

暑い季節には「女性は上半身裸になる。身体にすっかり丸味のついたばかりの若い女でさえ、上半身裸でよく座っている。無作法ともなんとも思っていないようだ。たしかに娘から見ると何の罪もないことだ。日本の娘は『堕落する前のイブ』なのか。」(グリフィス)

 

 

ある宿では「下女は、仕事を始める前に着物を腰のところまで下ろした。これはちゃんとした女性の間で習慣となっていることである。」

 

「女の馬子たちは腰まで衣服を脱ぎ、男の眼もはばからずに胸や脇の下を拭ったりこすったり」した。

 

「半裸の男女と子供たちを目にする時、〜この者どもは文明人というより<野蛮人>ではないかと呆れることがある。しかし、いたるところに上質な旅館があり、そこでは便所や食卓などのあらゆる設備がきわめて清潔で、サービスも丁寧で行き届き、契約通りに仕事が行われている。

また、もっとも丁寧で快い行儀作法を見出す時、たしかに高いタイプの文明が存在するのだと結論しないわけにはいかない。」

 

 

「日本人の尺度によると、健康や清潔のため、仕事のために、たまたま身体を露出するのは、まったく礼儀にそむかないし、許されることなのだ。だが、どんなにちょっぴりでも、見せつけるために身体を露出するのは、不謹慎なのである。」(アリス・ベーコン)

 

かつての日本人は「男女の愛」という観念を持たなかった…

当時の日本では、「絵画、彫刻で卑猥な品物が、玩具としてどこの店にも堂々と飾ってあり、これらの品物を父は娘に、母は息子に、そして兄は妹に買ってゆく。10歳の子供でもすでに、ヨーロッパでは老貴婦人が知らないような性愛の秘密となじみになっている。」

 

「あらゆる年齢の女たちが淫らな絵を見て大いに楽しんでいる。」

 

「卑猥な絵本や版画はありふれている。若い女が当然のことのように、また何の嫌悪すべきことでもないかのように、そういったものを買い求めるのは、ごく普通の出来事である。」

 

 

当時の外国人(西洋人)たちが驚愕したのも無理がないかもしれない。

それもこれも、キリスト教においては、性も裸体も恥ずかしいものであるとされていたからに他ならない。(婚外交渉ももちろん罪であった。)

 

しかし、徳川期の日本人は、肉体という人間の自然に何ら罪を見出していなかった。
それはキリスト教文化との決定的な違いである。

 

当時の文化では女性の魅力を抑圧することはせず、むしろそれを開放した。
だからそれは、性的表象としてはかえって威力を失った。

 

そして、当時の日本人は、一般に性を笑の対象ととらえていた。

 

人間の欲望を一種の自然として受け入れるリアリスト(現実主義)な側面があったと言える。

 

そのリアリストぶりは男女の恋愛関係においてもそうだった。

今でこそ、「男女の愛」「永遠の愛を誓う」なんて言葉が当たり前に使われているが、
当時の日本人は「男女の愛」なんて言葉を持たなかった。

 

(当時は現代でいう、「愛」という言葉(概念)すらなかった。明治後期、西洋書に出てくる「LOVE」を翻訳するために漢語から引っ張ってきて「LOVE=愛」と翻訳したらしい。)

 

「当時の日本人には、男女間の性的牽引を精神的な愛に昇華させる、キリスト教的な観念は知られていなかった。」

 

「日本人は愛によって結婚しないというのは、欧米人のあいだに広く流布された考えだった。」

 

当時の日本人にとって、男女とは相互に惚れ合うものだった。

(愛ではなく、惚れる、恋ふ、慕ふ、思ふ、焦がる、などが使われた。)

 

そして両者の関係を規定するのは性的結合だった。

性は男女の和合を保証するよきもの、ほがらかなものであり、羞しいことではなかった。

 

もちろん、当時の男女間にも今で言うところの「愛情」はあっただろうと思う。

男女は、性的結合によってお互いの愛情と絆を確認しあったのだろう。

 

「さまざまな葛藤に満ちた夫婦の絆を保つのは、人情にもとづく妥協と許し合いだったが、その情愛を保証するものこそ性生活だった。当時の日本人は異性間の関係をそう“わきまえる”点で、徹底した下世話なリアリストだった。」

 

つまり男女の関係は「愛なんていう精神論」ではなくて、
それは「性的結合」であり、「生命体(DNA)レベルでの惚れあい」であったと。。

 

当時の日本人は徹底したリアリストであり、さらに物事の超本質を見抜いていたのだろう。

 


これは私見だけど、

そもそも、「永遠の愛を誓う」だの「自分と同じように他者を愛せよ」「敵も愛せよ」
などの、キリスト教的「理想主義」にはとことんリアリティがないと思う。

 

まさに、ファンタジー、キレイゴトなのだ。

 

我々人間がその不可能を要求されることで、

「自分はなんてダメで罪深い人間なんだ」と落ち込むのが目に見える。

(そして実はそれこそが、宗教によって人を支配する為の構造なのだと思う。。)

 

蛇足だけど、当時の日本人は宗教を小馬鹿にしていたという。

 

宗教なんて、しょせんファンタジーであり、現実にイキイキと生きていた彼ら日本人にとっては「必要のないもの」だったのだろう。

 

と、思うと今の現代人は本当に当時の日本人と比べて「進歩」しているのかどうか、、相当に怪しいものだと感じざるを得ないのだが・・(笑)


 

遊女は軽蔑もされず、任期を終えて結婚することも稀ではない…

徳川期(江戸〜明治)には制度化された売春が存在した。

 

しかしその「売春」「妓楼」「遊郭」についても現代人が想像するような
ものとは違ったようなのです。

 

 

遊女らは「奉公の期限が満ちると、日本の中流階級と結婚することも稀ではない。男たちはこういう施設から妻を選ぶことを恥とは思っていないのだ。」(スミス主教)

 

外国人にとって当時の日本は矛盾に満ちた国だった。

「婦女子の貞操観念が他のどの国より高く、西欧のいくつかの国より高い水準にあることは、確かであるのに、自分たちの娘を公娼宿に売る親たちを見かけるし、それはかなりの範囲にわたっている。」

 

公娼制度が「他の国では欠けている和らいだ境遇を生み出す。〜宿の主人は彼女たちに家庭教育の万般を教えるように義務づけられているため、彼女たちはしばしば自分たちの出身階級に嫁入りする。」

 

遊女屋は「公認され公開されたものであるから」遊女は社会の軽蔑の対象にはならない。

 

「日本人は夫婦以外のルーズな性行為を悪事とは思っていない」

 

「子供は両親の家を後にして喜んで出ていく。おいしいものが食べられ、美しい着物が着られ、楽しい生活ができる寮生の学校にでも入るような気持ちで遊女屋に行く。」(カッテンディーケ)

 

長崎の遊郭について、「法律やお上が認めている」こういう場所は、「みだらな隠れ家とも卑猥な出会いの場所とも見なされておらず」身分の高い人びとがそこで友人をもてなすほどだった。(ポンペ)

 

「日本ではすべての公共の旅館は公の娼家なのだ。」

ジーボルトは1826年の品川遊郭に触れて、「一般にこうした施設は日本では料理屋と同様、生活に必要なものと見なされているようだ。白昼、娼家から出てくるのは、われわれの国でいえばコーヒー店から出てくるのと同様で、ほとんど問題にならない。」と記す。

 

ポルスブルックは1858年、当主からまず遊郭に案内され、「私などかつて見たこともないほど美しい娘たち」に迎えられた。そのあと伊藤家(当主)に赴くと、

「大変上品な日本婦人である町長の夫人」から、「遊郭はきれいだと思われましたか、お迎えした娘たちはきれいじゃありませんでしたか」と尋ねられ、それが夫人の姑や息子の前だっただけに彼はすっかり狼狽してしまった。

(つまり夫人にとって遊郭は人前に出してもなんら恥ずべき話題ではなかったということ)

 

「妓楼経営者はかなり立派な市民であると考えられている。そして、妓楼の女たちに親切である場合には、称賛を受けたりしている。彼らは妻帯して普通の生活を営み、下賤な階級として見下されることはない。」(ウィリス)

 

「巡礼地の神社がほとんど常に女郎屋で囲まれていた」訳とは?

 

現代では驚くべきことに、お寺や神社の近くには、必ず遊郭があったらしい。

しかし、それも「いかがわしい!」と考えるのは、西洋思想に染まった色眼鏡なのだろう(笑)

 

そもそも、

 ・性は生命のよみがえりと豊穣の儀式であった。

 ・売春(買春)はうしろ暗くも薄汚いものでもなかった。

 ・まさしく売春はこの国では宗教(文化)と深く関わっていた。

 

神社はそもそも「性」と関わりが深い。

境内には鳥居(女性が足を開いた様子を表す)があり、その後に参道(産道)がある。

 

また参拝者は手を水で清めてからお参りするが、それも想像力を働かせれば性行為に重なる気がしてくる。

 

極め付けに、参拝者はお宮に参るが、女性でいえばそこはまさに「子宮」。そう宮なのだ。

 

 

これを聞いて、反射的に「いやらしい!」と思うなら、
それは本当にそうなのかと考えてみる必要がある。

 

その奥深さと神秘性は、今の西洋的、現代的な価値観では決して
捉えることの出来ないものだと思うのです。

 

 

あとがき

考えてみれば、我々は性によって生まれ出て、性によって子孫、そして未来を作り上げていく。

 

それなのに、今では性を「ふしだら」だの「H」「エロい」「下ネタ」などと、
性を色眼鏡で見る人があまりにも多い。

 

そして男女間の「惚れた腫れた」を「永遠の愛」などと格好つけて、
高尚な言葉で本質を見えなくさせている。

 

そもそもが、西洋的な価値観であることすら気付いていない。。

 

我々日本人は、何千年、何万年と、性とともに、ほがらかに生きてきたと言うのに。

 

だから、現代社会ってどこか違和感がある。

 

本来の生命としてのあり方としては非常に「リアル(現実的)じゃない」と思うのです。

 

どこか、理想主義、キレイゴト、ファンタジーで生きてやしないかい?

…と問いたい(笑)

 

現代人は、リアルに生きてないから、様々なストレスを抱えるし、
さまざまな問題を抱え込んでしまっているように思えてなりません。

 

かつて、湯に浸っているかたわらを通り過ぎる外国人に向かって、
邪神なくにっこり微笑みかけたという日本の娘たち。

 

今でも想像するだけで心が躍り、なごむような光景だと思う。

 

日本は、西洋化して、物質的に繁栄したのかもしれないけど、
それ以上に大事な「日本人が大切に受け継いできた魂」を失ってしまったように感じてならない。

 

昔の日本人のように、多くは持たないけど、自分の足を知り、

シンプルかつ本質的に生きる姿勢に、

今の時代だからこそ学べるものが多くあるような気がしますね。

 

瀬名

コメント

  1. 佐々木 より:

    今頃(2021年2月)この記事が書かれていたのを気づきました^^
    瀬名さんの深い洞察力に改めて感銘を受けました。

    明治維新以降このような価値観が徐々に失われていき、太平洋戦争敗戦が
    決定打となり、完全に別の国のような状態になってしまったんでしょうね。

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