マトリックス4考察「デジャブ、バイナリー、モーダル」..コロナに絡む最大の隠れテーマについて

作品考察
マトリックス デジャヴュ モーダル バイナリー
 
 
 
瀬名です。
 
マトリックス4(レザレクションズ)を見たので、それについて私見をシェアしたいと思います。
 
 

マトリックス4(レザレクションズ)で「デジャブ」は深い意味を持つ

 

一般的に「既視感(デジャブ/デジャヴュ)」とは
 
「初めて体験したことのはずなのに、前にも体験したことがあるかのように感じられる現象」
を言います。
 
これらは「脳の錯覚(エラー)」や「無意識の記憶」、「前世の記憶」などと説明したりします。
 
ただし、マトリックス一作目では、
「デジャヴュは仮想世界が書き換わったときに起こる」
という解釈をしていました。
 
 
マトリックス4ではまたちょっと違っていて、
マトリックスの過去作(1〜3作)を引き合いに出して、
 
(このシーンは過去作で出てきたのと似てる。まるでデジャヴュだね。)
 
という様に、
「過去作で同じような場面があったよね」という使い方もされています。
 

マトリックス デジャヴュ  モーダル バイナリー

 
『デジャヴュ・・だけど何かが違う・・
 このストーリーは私たちが知っているものとは別かもしれない』
 
 
一作目の「デジャヴュのシーンで出てきた黒猫」も4作目で再登場するのですが・・
 

マトリックス デジャブ 猫

 
この黒猫の存在がある時には「現実世界」ではなく、
「マトリックスにいる」ことを仄かしていますよね。
 
 
そしてさらにですが、、
 
 

デジャヴュ・・それは現実のループに囚われていることを意味する?

 

『我々は見えてない、気付いてないだけで、奇妙なループに囚われているんだ』
 
『大衆は(現実に没頭して)何にも気づかずに(忘却の中で)生きている』
 
 
マトリックス4では「モーダル」というコンピューター用語が出てくるのですが、
これは簡単に言うと、「小さな枠」を意味しており、
 
「この小さな枠に囚われ現実をループ(繰り返し)しているから、
 人々はいつまでも抜け出せないのだ。」
 
という様に解釈できます。
 

マトリックス モーダル

モーダルウィンドウなどとして使われることが多い。モーダルウィンドウを開いていると外側のウィンドウ(より大きな枠)を注視することが出来なくなる。)
 
 
これは仏教で言う「悟りと解脱」の概念に近い様な気がしますね。
 
(ザックリ言うと・・人々は現実世界で輪廻転生を繰り返し(ループ)、どこかで悟りを開き(目覚め)、解脱することで次の世界に進める・・みたいな概念です)
 
 
 
マトリックス4では「目覚めることは本当に最善なのか?」という視点が提示されます。
 
 
『シープル(シープとピープルを掛け合わせた言葉:羊のような大衆を意味する)は
 支配されたがってるじゃないか?』
 
『そこに居心地の良さを感じている人々が多数派だよね?
 なんでわざわざ目覚める必要があるの?』
 
 
つまりは、人々は小さな枠という現実(実際には仮想世界=マトリックス)で生きることが心地良くて、そのループからわざわざ出ようとしないだ。
 
・・という風に解釈できますね。
 
 
 
そしてこのような答えのない問いは、
そのまま「バイナリー(二元論)」という言葉に繋がっていきます。
 
 
 

「バイナリー」は01、2択、二元論を意味する・・

 

次に、マトリックス4で最大の隠れテーマと思われるのが
 
「バイナリー」
 
なんですね。
 
バイナリーとはコンピューター言語である「01」(ゼロイチ)

マトリックス バイナリー 01

を意味するものでもあるし、
 
マトリックス作品全体を通して大きなテーマの一つであった
 
「選択」
「2択」
 
を意味するものでもあります。
 
そして今回のバイナリーには間違いなく「二元論を超えていけ」というメッセージが色濃く表現されていると思いました。
 
 
『物事の本質とは、二元論に行き着く。光と闇。善と悪。正誤。男と女。のように。』
 
 
このようなセリフが作中に出てきますが、
これは確かにその通りだと思います。
 
 
と同時に、マトリックス4では明らかに二元論を超えていく姿が描写されます。
 
 
・新たな(現実世界の)町では機械と人間が共存し繁栄している
 (以前の町、ザイオンでは機械との戦争に明け暮れていた)
 
男(ネオ)だけでは力が発揮できないが、女(トリニティ)がいることで
 超パワーを発揮できるようになる
 
・敵と味方の境界線が曖昧になっている。
 (過去作では敵と味方の区別が、よりはっきりしていた)
 
マトリックスと目覚めた人々が(平和的に)共存するようになる
 (目覚めたくない人はそのままで良いし、目覚めたい人はそうすれば良い)
 
 
ザックリ言うと、二元論を超えた世界とは、
「より曖昧な世界になっている。」
と言えますね。
 
 
・善と悪(正誤)がはっきりしていない。
(目覚めることが本当に良いことなの?
 マトリックスを求めている人々がいるじゃないか?)
 
 
・選択は、その人に委ねられている。
(トリニティをマトリックスから救い出したいというネオに対してのセリフ↓
 『ネオにとって最も重要な選択は彼のものではない。トリニティが下すのだ』
 
 
二元論を超えた世界は、「どちらも、そして全てを包摂する世界」と言えます。
 
・受け入れる
・共存する
・信じて委ねる
・多様性
 
などがキーワードのように感じます。
 
 
そしてそうなってくると、
 
【自分自身の選択に大きな意味がある世界】になってきます。
 
 
 

選択は幻想。(こたえは既に心の中にある)

 
 
「人生とは選択によって積み上がり出来上がっていく。」
 
と言っても過言ではないかもしれません。
 
しかしながら、マトリックスでは
 
「選択とは幻想だ」
 
というセリフが出てきます。
 
何故そうなのかについて説明されませんが、私見では、
 
「選択をする前に既に心の中に答えがあり、選択を下しているから。」
 
だと思っています。
 
 
たとえば、「今日のご飯は何を食べようか?」と意識で考え、
なにかを選択をすると言った時でも、
 
それは「周りに影響されて下した選択でないとは言い切れない」のです。
 
 
つまりは、人は意識で選択し、人生を生きているつもりになっているだけで
実際には【周りの環境によって選択させられ、選ばされている】のではないか?
 
 
ということを思うのです。
 
 
 
 

まとめ(バイナリーな世界に対するデジャビュ)

 
では最後になります。
 
マトリックス4を見た結果ですが・・
 
「人類は一体いつになったら次の世界に行くんだい?」
 
と問われているような気がしてきます。
 
 
人類はここ数千年(?)と長い年月を「二元論」の世界で生きてきました。
 
 
『物事の本質とは、二元論に行き着く。光と闇。善と悪。正誤。男と女。のように。』
 
 
マトリックス4では、そんな二元論を超えていく描写として、
 
・これまで敵でしかなかった機械と「共存」しているし
・敵なのか味方なのか? 善か悪? かハッキリしないし
 
・マトリックスのプログラムを利用して栄えていたり
・ネオはトリニティがいないとポンコツでした(笑)
 
 
さらに言うと、
 
悪を倒すことで善が栄えてメデタシメデタシ・・
ではないラストだったのが非常に印象的でした。
(詳細はネタバレになるので控えます)
 
 
そして最後に、
 
『なぜ古いコードを使って、新たに作ろうとするの?』
 
というセリフがあるのですが、
 
「これは古いコードである人類を使って、よりよい新たな世界を作ろうぜ」
 
という希望の一言のように聞こえてくるのです。
 
 
これは、「人類へのエール」なのでしょうかね?笑
 
 
 
 
何はともあれ、マトリックス4は非常に深い作品でしたので
また、二回三回と見るうちに「新たな気づき」も出てくるだろうと感じています。
 
 
また、新たな気づきがあったらメルマガなどで配信すると思うので
是非登録しておいてくださいね〜!
 
 
 
 
 
 

PS1 さらに・・意味深な言葉

 
マトリックス4では
 
『マトリックスが【脳にノイズを詰め込む】んだ。・・そしてそれは戦争も同じさ。』
 
というセリフが出てきます。
 
ここで言う「マトリックス」は作中で言う「コンピューターが生み出した仮想現実」のことなのか?
 
それとも「作品としてのマトリックス」が人々の脳にノイズを詰め込むのか?
 
ダブルミーニングがあるように感じ取れます。
 
 
また、「戦争も脳にノイズを詰め込む」というのも興味深いです。
 
(戦争のような極限状態は、確かに人々を現実世界に没頭させてしまう効果があるでしょうね。)
 
 
 
 

PS2 女性性が強調されている?

 
マトリックス4で印象深いのは、
 
女性が非常に活躍する作品だったと言うことです。
 
これは女性性の時代になっていくと言われる昨今のトレンド(自然界の流れ)
に沿っていますし、
 
国連も今後女性を重宝していくという指針を打ち出していますし。
 
二元論を超えていくのにも女性性は非常に活躍するのだろうと思います。
 
 
 
 
 

PART2. マトリックスとコロナの考察について

コロナとワクチンの問題は全体主義にある?

(こちらはメルマガで書いた内容ですが、せっかくなのでブログでもシェアします。)

 

さて、世界では、特に欧米諸国では、

アメリカ、ドイツ、フランス、、などの名だたる先進国で

「ワクチン強制」

が進められており、

「ワクチン・パスポート」

がないと自由を剥奪されるようになっているようです。

 

これは全体主義であって、

 全体主義とは、個人の自由を制限し、

 国家や社会全体の利益追求を優先する体制。

です。

 

つまり、「白か黒か」であって

「国家の言う通りワクチン打たない奴は
 許さないぞ!!」

という恐ろしい社会になっている訳ですね。

この2021年に。

 

まるで世界大戦中の【ヒトラー】による独裁政権ですが、
それを今の世界中の国がやっている訳です。

 

そして、「ユーチューブ」などのビッグテックが
「ワクチン批判を許さない!」
と宣言したように、

全体主義に異を唱える、
「表現の自由」
すら制限するようになっています。

 

ただしそんな世界で唯一先進国で
「人々の最低限の人権を守り」
極端な全体主義に走らず、

・ワクチンは同調圧力はあれど強制ではなく
・ワクパスはクーポン券に
・緊急事態宣言はするけどロックダウンまではせず

・・なんとか、人々の自由を守っているのが
日本ですね。

 

そこで「ワクチン」やらが、

・良いか悪いか。
・正しいか間違いか。

はさておき、

 

「ワクチン打たない奴は非国民として
 罰金もしくは投獄する。」

 

・・なんてことが世界中で起きている中で、まさに戦時中みたいですが・・

今の我々の住む日本はまさに「最後の牙城」であり、

「黄金の国ジャパン=パラダイス」

と言っても過言ではないような状況なのです(笑)

 

だから、ワクチンを絶対視する人たちは、
科学信奉の「ワクxx教の信者」とも言えるのですが、
絶対的なことって、そもそも無い訳ですよね。世の中に。

 

白か黒かではなく、
正しいか間違いかではなく、
白と黒の間には無数のグレー(灰色)がある訳です。

 

たとえば、「ワクチン」ではなく、

・治療薬ではダメなの?
・免疫を活性化させるのではダメなの?
・ハーブとかではダメなの?

 

など、それこそ手段として考えられるのは無数にある訳です。

(手段は、ワクだけでない。)

 

だから、正しいと間違いだけでなく、その間には無数の多様性があります。

その多様性をことごとく潰すのが全体主義ですよね。

 

そしてこの「二元論的な全体主義」

つまり「白か黒かと決めたがる世界」は、

マトリックス4で

「お前ら、いつまでそんなことやるの?」

というメッセージが発せられていたように思うのですね。

 

マトリックス新作では、こんなセリフが印象的でした

『物事の本質とは、二元論に行き着く。光と闇。善と悪。正誤。男と女。のように。』

これはつまり、二元論であり、

人々は、

Aワクを打つ
Bワクを打たない

という二元の選択を迫られるますが、

二元論を超越していけば選択肢はA、Bだけでなく、

C、D、E、F、G・・と無数にあることに気づくのです。

 

二元論の良いところは、
「答えがハッキリしているからシンプルでわかりやすい」ことです。

でも二元論を超えていくと、
「答えは人それぞれにある。」という世界になっていきます。

 

つまり、世界がコロナで二元論の低い抽象度に落ちていく中で、

日本は世界で唯一と言っていい感じで、二元論を超越して行ってるのですね。

 

カッコよく言えば、

「新たなる次の文明社会」

を日本という国が今まさにリードして、世界に示している。

 

そこにきて、

「マトリックス4は全米に先駆けて5日も早く、12/17に映画公開されたこと」

そして、

作中で日本が出てくることもそうだし、

どうも日本という国、文化に対する

「リスペクトなのか、期待なのか」

何かしらのメッセージ性を感じずにはいられない訳です。

 

「コロナで大変だ!」

という人もいるかもしれないけど、

でもこれからの日本は非常に楽しみでもあるし

世界の中でどんな役割をもっていくのか、

今後の展開が興味深いです。

 

世界中に、多くの国々があるなかで、

この時代に日本という国に生きていること、

それは今の自分たちが想像する以上に

エキサイティングなことなのかもしれません。

 

それではまた!

瀬名

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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