世界の運命は日本人の手に・・?

はじめに
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シリーズ2回目です。

前回の記事では、

人類の問題の根源には「選民思想」「排他主義」「分裂」があると言いました。

 

一方で、人類が平和と愛を享受するためには「一体感」が必要だとも言いました。

 

では一体感とは何か?それはシンプルに感覚的に言葉にすれば、

「人類みな兄弟」

という一言で済む話なのですが・・。

 

でも、その言葉をより深く理解するためにも、まずは

日本人の伝統を通して一体感について探って行きたいと思います。

 

日本は世界に誇れる、平和主義国家です。

 

まず日本の宗教は「自然宗教」であり「神道x仏教」だと言えます。

(最近は科学信仰もあるかもしれません)

 

もちろん、日本人の多くは「無宗教」と答えると思いますが、

それでも日本人として生まれて日本で育って来たのであれば誰であれ

自然を敬う気持ちや、親、先祖を敬う気持ち、お米や、物を敬う気持ち、

そして人を敬う気持ちを教えられてきたと思います。

 

日本人はそもそも、万物に神が宿ると考えてきたので、

一神教ではなく「多神教」だと言えます。

 

 

一神教の問題点については前の記事でさんざん書いたので割愛しますが、

では日本の多神教とは何なのか?

 

これを理解するのに分かりやすいのは、神社に御神体として祀られている鏡です。

ご存知の方もいると思いますが、

「かがみ(鏡)」から「が(我)」を取ると、「かみ(神)」になります。

 

これはつまり、人間は誰しも「神」であること、「神聖」をもって

生まれてくることを教えているのです。

 

しかし、一神教の世界では、人間は不完全な罪人とされています。

罪人なので、間違いを起こしたら神の前で裁かれるのです。

 

これは裏を返せば、間違いを起こした人間は神に裁かれて然るべし。

という過激な思想に繋がります。

 

でも、日本人的な思想では「人間は神である」と考えます。

この歴然たる差はなんなのでしょうか?

 

ここではどちらが正しい正しくないという議論は避けますが、

どちらの思想が人類の平和に役立つのか?という視点で見ていきます。

 

たとえば歴史を見ていけば、どちらが人類に有益で、有益でないかが分かります。

 

一神教文化と、多神教の日本文化、どちらが平和に貢献してきたのか?

 

一神教の欧米の歴史と、多神教の日本の歴史を見ていくと、

その違いに唖然とするに違いありません。

 

例を挙げればキリがないのですが、たとえばアメリカ大陸にイギリスから

白人が上陸した時に真っ先に行ったのが「先住民を神の名のもとに虐殺した」ことです。

 

また、近代では白人がアジアやアフリカなどの諸国を植民地支配して

人間を奴隷のように死ぬまで使い捨てにしたことは事実です。

 

一方で、日本人は異なる物や思想を和する(つまり一体とする)ことに長けてきました。

その結果が一例として、長い平和な江戸時代を築き上げたのです。

 

もちろん江戸時代だけでなく、日本は天皇の元、皇民は「おおみたから」として

大切に扱われてきたという歴史的証拠も多数出てきています。

 

(僕らが学校などで教えられる、日本の自虐史観は疑ってかかる必要があります)

 

そして近代においてはアジア諸国を白人植民地支配から開放する為に、

「差別の根絶」を世界に訴え、戦ったのです。

 

言うまでもなく、差別は人類の分裂をもたらします。

だからこそ、「差別を根絶し、人類が一体になること」を

国際社会で先頭を切って模範を示したのが当時の日本でした。

 

大東亜共栄圏の建設の精神として掲げられたスローガンがありましたが、それが「八紘一宇」です。

「八紘一宇」というのは平たく言うと「世界は一家、人類は皆兄弟」という意味です。

 

今では軍国主義のようにイメージ付けられた言葉ですが、

「八紘一宇」とは人類の平和を願う言葉だったのです。

 

そしてもう一つ最後に紹介しておきたい事があります。

 

それは日本が大東亜戦争に敗れて、GHQマッカーサーに昭和天皇が述べた言葉です。

 

日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。

私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。

絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります

 

「しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく着るに衣なく、

食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。

温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

 

この言葉に、マッカーサーは驚いた。

彼は、昭和天皇が命乞いにくるのだろうと考えていたからです。

自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王など、世界の歴史上殆どいなかったからです・・。

 

 

以上。

さて僕は日本人なので日本びいきな部分があるにしろ、

やはり日本の歴史には感服せずにはいられませんでした。

 

残念ながら人類は未だに原始的な「恐怖と暴力による支配」から抜け出せていないように感じます。

しかし希望はあります。

 

日本の精神文化から、僕らが、そして世界人類が学ぶべきことが

まだまだ沢山あるからです。

 

大事なことは、分裂する思想を捨てて、一体感を求める思想を取り入れることです。

人類みな兄弟

これこそが世界平和のスローガンでしょう。

 

つまり、人類の共存と平和の実現は、人々の精神性の向上に

かかっていると言っても過言ではありません。

 

一人一人の成長が、自分自身を、家族を、周りを、

そして世界を救うことになるのです。

 

なぜなら人間は罪人ではなく、神なのだから・・。

人間の問題は、人間が解決することが出来るのです。

 

これについてはまた別の機会に詳しくお話出来ればと思います。

ではまた。

 

 

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