「身体」は最も身近な「神社」である?と言うことは・・・
瀬名です。
「ご利益」をもらう為に神社にいく人は多いですが、
【そもそも論】を話したいと思います。
そもそも、自分の身体が神社ですよね。
ということです。
(神社とは神のやしろ(住処)です。)
自分は、
世の中の「スピリチュアル」ブームに対して【違和感】があります。
なぜかと言うと、多くの場合スピリチュアルでは、
「肉体より精神が大事」
とか、
「この世界より良い世界へ行こう」
「天国へ行こう」
「アセンション」
「神頼み」
・・などの「逃避」に使われるからです。
(もちろん何を信じるかは自由です。
ただ自分には合わないと思うだけです)
そもそも、スピリチュアルとは「神秘」を意味するワケですが、
神秘性とは何も「見えない領域だけ」にあるわけではありません。
なんだったら、自然や虫けら、地球だって神秘だらけです。
そして、我々にとっていちばん大事かもしれないのは・・
「肉体の神秘」ですね。
自分の体って神秘だらけだと思いませんか?
・なぜ歩けるのか?
・なぜ五感六感が備わっているのか?
・なぜ自分は自分なのか?
・なぜ新たな生命を生み出せるのか?
・なぜ病気になれるのか?
・・「なぜ病気になれるのか」
なんておかしな表現に聞こえたかもしれませんが、
そもそも、人は・・
乱れた身体を正常化させる為に「病気」になる訳です。
つまり、多くの人が信じていることとは真逆なのです。
自分の体がおかしいのではありません。
むしろ、
自分の身体が乱れているのではなく、
自分のいる環境や社会が乱れているのです。
ストレス社会なんて言いますよね。
病も症状も、体が正常に働いているシグナルです。
だから、
自分の習慣や環境が病気を引き起こしているので、
それを見直していけば自ずと体は正常化していくのです。
だけど、肉体的な症状よりも何よりも、
病気で何がいちばん怖いかと言うと、
「病の気」になることです。
自分の心が「ウツ」になっていくと、どんどん衰弱します。
鬱々としていると、治るものも治らないのです。
「自分はダメだ」
「自分は異常なんだ」
・・なんて自分を責めるのはいちばん良くない。
でも、心がイキイキとさえしていれば、
ウツ(病気)になっている暇はなくなります。
だから、ガン患者がタイに行ったり
温泉へ療養に行ったりすると、
いつのまにか治ってしまっていた・・
なんてことがあるのです。
なので、病気や症状を良くしたいなら・・
自分の意識(心)がどこを向いているのか観察してみる
これは大事ですね。
病気や症状にフォーカスすればするほどそれが長引いてしまう・・
なんてことがあると思います。
これって、
「心の汚れ」つまり「気枯れ」なんですけど、
これは非常に危険なんですね。
だから、「気晴らし」って大事なんですね。
天気の良い日は、外に出て、日光に当たるとか、
部屋の中でも日が差すところにいるとか、
たったそれだけでも変わってきます。
・何かに夢中になるのも良いですよね。
・テレビや情報を絶ってみるのも良いです。
とにかく病気や症状からフォーカスを外して、
他の何かに没頭したりすると良かったりします。
自分の経験上、病気や症状は忘れた頃に
良くなっていることが多いです。
では、ここまでをまとめると・・
病気は、体が正常に働いてくれている証拠
・・だから、
体を憎み、病気を憎み、戦うのではなく、
むしろ、「自分の体を愛するべき」・・
なのですよね。
(だから「闘病」という表現は違和感があります。)
症状が出ていたら、
「お!ありがとう!ちゃんと働いてくれてるね」
と声をかけてあげましょう(笑)
(不快な症状も、体ががんばってくれてるんだなと思えば、きっと愛らしく感じてきます・・)
もちろん、自分は本来「愛」という言葉があまり好きではありませんが・・
人に対して「愛している」と言うのは【大きな誤解の元】・・
だと思うので使わないようにしています。
でも「体や自然」に対して「愛してる」と思うのは、
トラブルにも何にもならないので大いに使って良いと思ってます。
そして何よりも・・
自分の体を愛するということは、健康的に生きる為の第一歩である
「健康=食事」ではなく、
「思い」や「心の状態」がいちばん大事なのです。
実際に、『思いや、かける言葉によって、水の味が変化するという実験』があります。
そこから分かる通り、
自分の思いによって、体内の水が変化します。
「体の7割は水で出来ている」と言われています。
だから、「水もしくは血液」が体内を巡っているのですが、
その体内水分をピュアに「浄化するのは思い」だし、
「汚すのも思い」次第なのです。
だから、自分の体を愛することは、健康的に生きるのに欠かせないということです。
そして、自分の体を愛するということは、
最も身近な他人を愛するということになります。
なぜなら、自分の体だと思っているこの体は「微生物の集合体」だからです。
潔癖症の人は「ひえっ!」と思ったかもしれませんが(笑)
でもまずはここを受け入れない限りは、
「人として健康に生きる」ということは到底無理なように感じます。
ちなみに・・
今回は、概ね「健康」に関する話になってたかもしれませんが、
ここが理解されれば人間関係も自ずと理解が深まってくるように思います。
まず、
「体がもっとも身近な他人」だとすると、
彼ら(微生物)を喜ばせることが自分の利益になるということです。
それは人間関係でも同じです。
人を理解し喜ばせることが出来たら、
それはひるがえって自分の利益になるのです。
↑つながってますよね。
つまり健康も人間関係も同じなのです。
キーワードとなるのは、
・観察と理解
・感謝(ありがとう)
・愛(大切に思うこと)
・波(周波数、思い)
このあたりだと言うことですね。
だから超シンプルに言うと「ご利益」が欲しいなら、
自分の体や周りの人を「喜ばせろ」ということです。
「じゃあ喜ばせる為に自分の好きな焼肉を毎日食べたら良いのか?」
と言ったらそうではない(笑)
何かを食べたりした結果、
体がどんな反応をするのかを観察しないといけない。
良い反応が返ってきたら、それは良いことだし
良くない反応が返ってきたら、それはズレているのです。
毎回、プレゼントをあげるとかそういうことでもないですよね。
(人は慣れると、ありがたみを感じなくなるので。)
・・だから、ここが面白いところでもあります。
タイミングによって、体だって求めてる食事が違うのです・・
(季節毎の食材を食べるのは基本です)
なので、コミュニケーションが必要ってことですよね。
(自分と体。自分と人。どっちもコミュニケーションが必要。)
そうです。。健康も人間関係も奥が深いです。
(サプリを飲んで健康!とか●●を食べたら健康に!とか・・
そういう「低レベル」の話しじゃない笑)
まぁでもだからこそ、一生追求していける分野だと思います!
それでは長くなりましたので
今日はここまでです。
瀬名
PS この世界を本当に遊び尽くす・・
それが人の使命ではないかと思います。
健康を考えたときに、人は「食事!」と考えてしまいますが、
実は「遊び」も大事だと思うのです。
「遊びより仕事が大事だろう!」
なんて社会でここまで来た訳ですが、
世界中の人間が一斉に競争しあった結果
・地球を汚しまくる
・他生物を殺しまくる
・本来必要ないものを利益の為に生み出す
という事態になっている訳です。
だから、
「遊びより仕事の方が偉いんだ!」
と言うのもおかしいということです。
一生懸命働いて家族を養うのは確かに立派ですけど、
それは【人間側の都合】しか考えてないとも言える訳です。
(その仕事が巡り巡って、世界や地球を良くしているのか?)
「なら、人はそもそも何の為に活きているのか?」
という話になってきます。
今、一つ言えることは、
「人は発している波が全てで在る」
ということです。
たとえば、
どんなに一生懸命働いていても、
どす黒い波を発していたら、
それは地球にも人にも貢献していないことになります(笑)
素晴らしい肩書きで、ステータスも富もあって、
・でも、話す言葉が周りを不快にしていたら?
・発する波(空気)が人を不快にしていたら?
そういう人は次世代では通用しなくなる訳です。
さらに、
・正義を振りかざすのも
・対立思考も
・ヒエラルキー意識も
そういうのも通用しなくなっていきます。
だから、
「今は好きなことをやって生きていく」
なんてのはまだまだハードルが高いかもしれませんが、
少なくとも、「この地球で遊ぶ」という遊び心をもって生きられたら、
【自分にとっても、体にとっても、周りにとっても、地球にとっても、、】
よりマッチした生き方になるんだと思います。
それではまた。
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