お金や損得を超えたところにある魂の喜びについて。

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(真面目に)人生の喜びってなんですか?

人生の喜びどころか、いつも不安を抱えていませんか?

罪悪感、無価値感、劣等感という洗脳に知らないうちに侵食されている現代人について!!

真剣に考えてみましたっ。


 

 

こんにちは瀬名です。

最近はヒマをもてあましておりますが、

世間一般的には

・忙しい(良いこと)
・ヒマ(悪いこと)

というイメージがある気がします。

 

自分は世間の洗脳や、常識にとらわれない方ではありますが

「ついついヒマであることに罪悪感を感じてしまう」
そんな自分に気づいて、自分の中の認識を新たにするようにしています。

 

実際に世の多くの人は、

『善悪』

という視点で物事を判断しがちです。

 

善悪があるから、

「●●するべき」(例:人に優しくするべき)

「●●してはならない」(例:人に迷惑をかけてはならない)

とか、

「社会人は忙しく働くべき」

「自分よりも周りを優先するべき」

「ルールは守るべき」

などの『べき・べき』思考に陥るのです(笑)

 

そして私達の地球はまさに、『善悪をベースにした文明』と言っても過言ではありません。

 

ちなみに世間では「するべき」「してはならない」などを、
たくさん守れる人が大人だと思われていますが本当にそうでしょうか?

 

実際には、

(状況によって)「社会人は忙しく働くべき」(タイミングがある)

(状況によって)「自分よりも周りを優先するべき」(タイミングがある)

(状況によって)「ルールは守るべき」(タイミングがある)

だけなのです。

大事なポイントは、「絶対は無い」ということです。

 

 

そもそも善悪とはなんでしょうか?

 

善悪とは絶対的なものではありません。相対的なものです。

善悪の感覚が行きすぎると、人は『善の優越感』にひたるようになります。

 

すると、相手を批判するようになったり、相手を裁くようになったり、
・・やがてはケンカ(戦争)になるのです。

 

 Aグループは自分たちが善だと言い
 Bグループも自分たちは善だと言います。

それでどちらが正しいかを戦争によって決着をつけるのです。

人類の歴史とは善悪の戦いごっこの繰り返しです。

 

もっと身近な例を言うと、人は、善悪というレッテルを無意識で自分自身に貼ってしまうのです。

 人にやさしくできない自分 → 悪
 人に迷惑をかけてしまう自分 → 悪
 常識ハズレな自分 → 悪
 暇すぎる自分 → 悪

 

こうして、自分で勝手に罪悪感、無価値観、劣等感などを感じるようになってしまいます。

人はこうやって、自分で生きるパワーを失っていきます。

・・ここで、なにかおかしい、と気づかないといけません。

 

一方を善とし、一方を悪とする世の中に疑問をもたないといけません。

暇(わるいこと)  vs 忙しい(いいこと)
内気(わるいこと) vs  社交的(いいこと)
貧乏(わるいこと)  vs  金持ち(いいこと)
失敗(わるいこと) vs  成功(いいこと)
闇(悪)  vs  光(善)

・・本当にそうですか?と問うてみてください。

たとえば、人によっては貧乏であることが大きな学びになるチャンスです。

また失敗や挫折も成功の糧ですし、人生が大きく変化するチャンスです。

 

人生には究極的には良いも悪いもなく、
その出来事は何らかの学びを得るチャンスなのです。

 

そう、全ては学びです、、

 

「善悪」という感覚で生きることが、人々に苦しみを生み出してきた。

 

なので、僕がここで提案するのは、

『善悪』ではなく『好きか嫌いか』

というゆるい感覚で生きてみることです。

 

社会や他人の価値観ではなく、自分の感覚で生きてみるということです。

 

時と場合によっては、人に多少迷惑をかけてでも、
自分の進みたい道を優先させるタイミングも必要です。

 

日本人は『人に迷惑をかけないことが美徳』としますが、
自分は必ずしもそうだと思いません。

 

特に『自分らしく生きたい』と思うのであれば、
100%周りから受け入れられるはずがないのです。

 

僕や、佐藤さん、ハクさん、などは

多少まわりに迷惑をかけてでも、
「自分はこっち(経済的自由)に進みたいんだ!」
という強い気持ちをもって進んで、今があります。

 

【周りに迷惑をかけてでも自分の生き方を貫く。】

これはある人からすれば「単なるワガママ」に受け取られるでしょう。

でもそこに「真剣味」があれば人はNOとは言えないものです。

自分の生き方や、進む道に「真剣味」があればそれは「志」となるのです。

 

成功者とは、「自分の人生にとことん“わがまま”になれる人」です。

 

もちろん、「我慢して、ひたすら耐える」のも人生でしょう。

 

どんな生き方を選んでも、それは『善い悪い』ではなく、
あなたがそれを『好むか、好まないか』、です。

 

自分はようやく自分のワガママを通した先で、
すこしは周りの人に貢献できているような気がするのです。

 

大体、私達は「聖人君子」ではありません。

 

自分を満たしていないのに、他人を満たすことはできないのです。

自分が幸せじゃないのに、他人を幸せにしようとするのは
自分が食べたことがないのに、

「この料理おいしいよ」と勧めるようなものです。

 

たとえば、『絶品ラーメン』のおいしさは、

・どんなに言葉をつくしても、
・どんなに写真を眺めても、
・どれほどの口コミを読んでも、

 

そのラーメンを実際に食べて、
そのおいしさを五感で感じたときの
“感動”には到底及ばないはずです。

 

これと同じ様に、、

『幸せも、感謝も、愛情も、充実感も、魂の喜びも』

頭で理解するものではなくて、全身で感じるものだと言うことです。

 

だから人生の本質とは、

どれだけの幸せを(感じ)、
どれだけの感謝を(感じ)、
どれだけの愛情を(感じ)、
どれだけの充実感を(感じ)、
どれだけの喜びを(感じ)たかです。

 

つまり、人生とは頭で想像して味わうことができるものではなく、
実際に人生を真剣に生きることでしか、
その真の本質的な“おいしさ”を味わうことが出来ない。

と言うことです。

 

・・よろしいでしょうか。

 

 

それで、今回のポイントとしては、、

【日本人はもっと自分に正直に、わがままになっても良いかもよ。】

 

と言うことですね!

 

そして世間の言う、善悪や常識にとらわれずに、

 ・自分が今いちばんなにをしたいのか?
 ・どこに向かいたいのか?
 ・なにを叶えたいのか?

「ここ」をいちばん大事にしてみようということです。

 

『もっと自分の気持に正直になってみようよ。』

ということです。

 

「いや、自分にはやるべきことがあるんです…」

と思われるかもしれませんが、

 

自分の人生が輝くこと以上に“やるべきこと”ってあるんでしょうか?

あなたが毎日イキイキとしていれば周りにとっても良いのではないでしょうか?


ここは大事なのでぜひ考えてみて下さい。想像してみてくださいね。

 

とにかく自分の感覚に正直に生きた先で、
あなたのブレークスルーは起こってくるのです。

 

ですから、自分の未来に良い予感をもって日々進んでいきましょう!

 

 

PS:ヒマは最高の資産である?

 

さて、冒頭でお話した通り、現状ヒマを持て余しているのですが・・

ヒマというのはハクさん曰く「資産」です。

 

たしかに「ヒマ」であることで突発的なプロジェクトや旅行などにも対応できますし。

 

それにヒマであることで、嫌でも自分と向き合う時間ができることになります。

 

自分に向き合うと、自分のダメなところや、出来ていない部分などが
どうしても目についてしまうものですが、

「こんなダメな自分だけど、なんとかやれてる自分」

を受け入れて感謝するようにしています。

 

それに考える時間、感じる時間(瞑想)を行っていると
それが「次の行動するエネルギー」になっていく気がします。

 

だから、
「ヒマ」も大切。
「忙しさ」も大切。
どっちも大切なのです。

 

人生の『静と動』どちらも大切にしたいと思った今日このごろでした。

瀬名

 

 

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